※セミナー参加者からの意見を司会がまとめ、パネラーに質問を投げかけるという形で進められた。
松村Evernoteの例を紹介したい。これは、今日のプレゼン資料のような原稿を書く際に、WEBでもCloudでも使えるかなり高性能なシステムである。
無料だと50MB、有料だと500MBを使用できるが、使い始めると絶対に必要になり、生活の中に入り込んでくるようになるので、有料会員になってより深く使うようになる。つまり、早く生活インフラになるものがポイントになると思う。
藤沢公教育の観点から考えると、国が出している予算は3兆円ぐらいであり、そこには教師を雇う人権費なども入っている。このような規模の大きいマーケットがある中で、どうやって効率的に進めていくか。
例えば、1000万円ほどが電子教材につぎ込まれるとすれば、反対意見があるかもしれない。そこでは、国の予算をどう配分していくかという課題が浮かび上がる。そしてまた、民間の教育産業のことを考えると、フリー化が進む中でお金をとっていくのは難しくなる。
しかし、現在、iPhoneアプリに代表されるように、様々な人が教育に関するコンテンツをつくることができ、フリーのものが多く出てくる。一方で、そこにお金をかけても良いものが欲しいというニーズがあるはずである。ゆえに、フリーのものとフリーではないものが混在するようになるのではないかと考えている。
山内基本的には、ソーシャルメディア+リアルなメディアによるハイブリッドなサービスは、おそらく従来対面だけで行われてきたサービスに対する破壊的な要素になり得ると思っている。対面だけで行う費用の1/5でハイブリッドなサービスを運用できるとすれば、本当に対面でやらなければいけない授業があると言えなくなるのではないか。ここ数年でいきなり変化があるとは思わないが、10年から20年をかけて変わる可能性があると思う。
藤沢ひとつ具体例を紹介したい。普通の英会話授業は1時間で5000円から6000円をとると思うが、後輩の会社では、なんと400円で行っている。25分129円からという価格でやっていて、非常に破壊的である。
Skypeで英会話という発想までは誰もが思いつくかもしれない。しかし実際にうまくいっているのか。そこの会社は、フィリピンの女子大学生を1000人雇っている。これが実現したのは、彼女たちの自宅に高速インターネットが通っているため、インターネット料金を負担することなく学生を雇用すればサービスを運用できるからである。ベトナムや中国など、日本語ができる人々は増えているので、今後このようなサービスはどんどん生まれ得るのではないかと考えられる。
松村「価値の再構成」というものが待っているのではないかと思う。大学の授業をリアルでやらなければいけないのかという話がある一方で、リアルでやるからこそ価値が生まれるということも起こり得る。フリーで価格の低いものが登場する一方で、大学や塾という場所や自律的な学習者にとって、どこに価値を置くかの再構成が鍵になるのではないかと思っている。
松村限界は当然あると思う。授業内のインフラとしてTwitterを導入したのは実験的なものである。その際、ファシリテ-タという新たな役割の必要性を痛感した。人と同じ意見を出さないことが価値である、というソーシャルメディアにおける前提を共有しないと、本当にばらばらな角度からの意見が集まってしまい、収集がつかなくなってしまう。
逆に言えば、みんなが発した意見をどう分類するのか、どういう対立軸が描けるのか、もともと想定していた授業内容とどうすり合わせるのか、といったことを考えなければいけない。90分やるとへとへとになって、もう今日は何もできませんという状況になる(笑)。そこまでへとへとにならないやり方を模索したいと考えている。
山内この問題は非常に難しい。基本的な解決としては、ソーシャルになる方がメリットありと示すことだと思う。けれどもこれは、信念関係に依存しているため簡単ではない。世代を超えた文化変容に属する問題であり、世代が変わるにつれて新しい考え方が支配的になるという意味では、侍の考え方が変わるプロセスに似ている。つまり、数週間で全員が同じ考えになると思うよりも、数十年という長い期間でどう変わっていくかを考えるのが良いだろう。
藤沢デバイドの問題は、現状の世界観の認識・共有の問題だと思う。例えば、声の大きい人は目立つが、全体の1%にしか満たないのであれば、それはデバイドになる。一方で、ソーシャルな世界の中で声の大きい人が強くなっていくというように、状況が変わっていくことはあると思う。よって、そういう世界観があることを伝えて、全員に平等に機会を与える。全員に場は供給するけれども、全員ができるかどうかはまた別の問題であると感じている。
松村僕としては、楽観的に見ている部分がある。大学の授業を通じた気を配ったのは、ソーシャルメディアでの成功体験をどう次につなげるかという点である。気づきや発見の体験を獲得することで初めにノリを掴んでもらうのが大切だと思う。ノれていない学生はログを見れば一目でわかるので、ノれている学生をサポートにつけることもある。
ある種のツール的なノリみたいなものを感覚的にわかる人は増えているような気がしている。そこで、ソーシャルメディア内でのデバイドやトラブルに対してどう対処できるかは、ソーシャルメディアという前提の上で伝えていく必要があると思っている。
松村教える側にも成功体験を与えることが重要だと思う。リアルタイム演習などが始まることでこれまでにない能力、例えばファシリテ-ションが求められるようになるだろう。ソーシャルメディアが生活の中に入ることに批判的だと、融和は難しいと思うが、社会的なニーズとしてそういった振る舞いが求められるようになると、状況も進むと考えている。
藤沢今の教師が変わるのは難しいと感じている。むしろ、教師ではない存在が教師的な機能を果たすということがあり得ると思う。ソーシャルな世界では、民間、個人間でどう教え合うか、例えば隣の人に教えるハウツーのようなものが出てくるだろう。
山内欧米では、教師の中でリーダー的な人がメディエーターとして中継ぎをするような例がでてきている。日本でもぜひそのような動きにつながってほしいと考える。
一方で、個人的には藤沢さんの意見に近い。つまり、学内よりも学外での流れが速いため、縛られている学内の教師が自由に何かをやるのは難しい。逆に、学外での学びを進めたい人は増えてきているので、その人たちによりうまくいった学習をどう学内でも活かしていくか、という順番が自然だと考える。
山内BEATという研究プロジェクトを主宰している中でいつも悩んでいる。研究が研究だけで終わってしまう問題はあらゆる領域で生じていると思われる。この問題を解決するためには、社会の中で研究がうまくいくようなパスをあらかじめ作っておく必要があると思う。
例えばBEATでは、成果を商業化し、高校生などに届けるパスはできるようになった。それが1つ目のパスとするならば、2つ目のパスは、学習ネットワークを作った人が自律的に動けるような仕組みを研究によってサポートしていくことである。おそらく、論文を書く研究と同時に、サステナビリティを維持するための仕組みづくりがこれからの大学に求められていくだろう。
藤沢5・6歳の子供たちと遊んだときに、その世界観がとても面白かった。子どもは多様な大人と付き合い、多様性を認められることがよいと思うので、家庭や学校を超えて触れ合うプロセスは必要だと考える。質問に応えていないようですが(笑)、ソーシャルネットワークを通じて、子どもが大人の多様な世界と触れ合うことは価値あることだと思うので、いろいろな問題があることはもちろん考慮しながら前向きに進められたらよいと考える。
松村危険性の問題を考えると、経験していないメディアやコミュニケーションを理解できないということはよくあると思われる。ただ、1度でも触れたことがある人はすんなりと理解できる。その差はすごく大きい。クラス内のいじめを理解する際も、教員がソフトを使ったことがあれば何が起きているかを把握することができる。対処としてふさわしい振る舞いができると考える。つまり、子どもが使っているメディアを親や先生が体験しておくのは大事なことだと思う。
山内高校生や大学生から導入が始まったとしても、最終的には、小中学生までこういうつながりが届いた方がよいというのは、おふたりと同じ考えである。もし子どもだけでつながってしまうと、リアルな世界には信頼できる大人がいるが、悪意を持った大人の世界がネットの世界にはある、いう非建設的な状況が作られてしまうだろう。だから、長期的な方向性として、信頼できる大人と子供の世界を作らなければいけないので、大人の介入をポジティブに入れていく必要があると考えている。
対策としては、ワークショップの活動などを通じて子どもを巻き込み、信頼できる大人のいる小さなコミュニティの中で学びながら、徐々に世界を広げつつ成長していくという環境を作ることが望ましいと思う。それはとても難しいことなので、10年~20年かかるだろう。しかし、これこそが社会システムが変わるということになると考える。小さな子どもが安心して、電子空間上でもコミュニティの恩恵を享受できる社会こそ、本当の意味での情報化社会と言えのではないだろうか。
松村端末依存は極力クリアされていくことを意識する必要があると考える。しかし、端末が変わって同じことができるだけでなく、例えば、地域のボランティアスタッフが使う端末として位置情報に強いものが出てくるなど、どういう端末を誰がどのように使うのか、ということまでデザインされるようになるかもしれない。
「Address Free」「Context Free」「Experience Free」から新たな再構築が始められていくのではないかと思っている。規模は小さくなるかもしれませんが、それぞれの領域で新しいビジネスが生まれることが期待される。また、情報に強い人口比率もどんどん変わっていくと思う。5年単位でトレンドになるようなWeb MediaやSocial Mediaが生まれるのではないだろうか。
また、ビジネスを作ることができるセンスを持つ人は一握りかもしれないが、Social Mediaを超える新しいメディアが作られる可能性もあるのではないかと思っている。
藤沢これまでのインターネットは序の口と感じるほど、大きく変わるのではないかと思っている。サービスの面では、すべてが個人化し、例えばiPadで体調管理が可能になるなど、医療情報を個人が持つ時代が来るのではないだろうか。
教育に関しても、個人が学ぶ内容を教師が決めるのではなく、街中やいろいろなところで学んでいる内容や情報がすべて個人の端末上に残るようになるかもしれない。ハードの面では、PCがなくなりtouch panelに変わるのではないかと考えている。少し変な話をすると、touch panelさえもなくなり、アナログとデジタルが融合している世界を見るような、ハードを誰も持たない世界になるのではないかなと個人的には思っている。
山内先ほど10年後の話をしたので、さらにその5年後が2020年の半ばと考えると、early adopter(新たに現れた商品やサービス・ライフスタイルなどを、比較的早期に受け入れ、他へ大きな影響を与えるとされる受容者の層)すなわち全人口の約10%ほどの人々が、新しい世界を意識するようになるのがその頃だと思われる。
このセミナーにいる人は、全人口の約2%のInnovatorとして、ソーシャルメディアを活用しながら学び合い教え合うことを始めている。重要なのは、そういった動きをどこまで広げられるのかということで、社会システムとして何が必要なのかを考えることである。あと5年くらいすれば、大人がiPadを1人1台持つようになり、Twitterのようなシステムの普及がもう少し広がるようになると考える。さらにその先になると、Socialなものを好きな人々が飽和するだろう。本当に普通の人々に普及が追い付くかどうかが、まずその手始めである今後5年にかかっていると考えている。
Twitterをはじめとするソーシャルメディアは、人と人のつながりを変えることによって社会的なイノベーションの契機になります。
このような社会を開拓していくのは、追求する課題を発見し、人的ネットワークを活かしながら、プロジェクトを遂行していく「自律的人材」です。
この公開研究会では、BEAT第2期(2007-2009)の成果を総括した上で、BEAT第3期(2010-2012)の研究テーマに関連して、ソーシャルメディアの登場による社会の変化と、それに対応した自律的人材の育成について議論を深めたいと考えています。
みなさまのご参加をお待ちしております。